初心を忘れないために
"慣れ"とは恐ろしいものです。歳をとり経験を重ねると、"慣れ"が生まれるのは仕方のないことです。それが行き過ぎると自分を客観視することすら難しくなります。去年の僕は思いっきり"ゼロ"の状態に戻したからこそ、それにハッと気がつくことができました。
「手放す」ということは勇気のいる行為です。悩み苦しみ、自問自答の日々でしたが、いざ手放してみたら「なんであんなことで悩んでいたんだろう」と冷静になって考えることができました。自分の身も心も軽くなりました。自己保身と同調圧力が蔓延る世界で、自分を縛る価値観が何なのか、感覚が麻痺していたら尚更考えることは難しいです。一種の洗脳だとも思います。
"ゼロ"からの小学校教諭。自分のビジョンを意識的に意識しなければ、日々の行動に流されて、いつしか思考が止まり、"慣れ"が生まれてしまうのだと思います。
「教育とは何か」
「自分はどういう世界を目指しているのか」
日々、自分に問い続けます。
ペーパードライバー
車の免許を取ったのは29歳の時。てか去年の秋です。
とある田舎の合宿でマニュアル免許を取得しました。
・30を超えると講習の値段が上がる
・免許取るなら時間のあるうちに取っちゃおう!
ということで「今だ!」と合宿に飛び込みました。僕以外の合宿メンバーは20代前半が多かったですが、こんなアラサーとも仲良くしてくれて、楽しい時間を過ごせました。合宿後に地元で運転免許を取ったものの、そこから一度も運転することはありませんでした。というか必要性が全くなく、半年ペーパードライバーをやっておりました。
そんな僕がひょんなきっかけから田舎に引っ越すこととなり、車でしか通勤できないという状況になりましたので、先日近くの車屋さんで中古車を購入し、今日の昼に納車しました。
もともとペーパードライバー教習に通うつもり満々だったのですが、そこの車屋さんが「僕でよければ見てあげるよ!」と言ってくださり、納車まで3回ほど運転を見てくれました。一般のペーパードライバー講習を受けると3万くらいかかるので、心積もりをしていたのですが、なんと無料でやってくれました。さすがにお礼をしたいと思い、納車のタイミングで「ありがとうございました」と現金を入れた封筒を渡したら、「大丈夫だよ〜これが仕事だから!それよりうちで車買ってくれてありがとね!」と封筒を返されてしまいました。
頭が上がりません。絶対に恩返しをしたいです。
夕方に小学校まで車で行ってみました。休日で誰もいない小学校の駐車場にポツンと停めて、静かな学校の周りをゆっくりと歩きました。
「ここが僕の働く学校か・・・」
山の小さな古い学校。清々しい風を浴びながら、鳥の鳴き声に耳を澄ませていました。
引っ越す前まで、実は車の運転が一番心配でした。「どこで車を買おう」「ペーパードライバー講習受けに行かないとな」「4月までには通勤路は把握しておきたい」などと思っていましたが、近くの親切な車屋さんのおかげで何とかなりました。
(ちなみに中古車は約20万でゲットしました。)
明日もまた通勤の予行練習に行ってきます。安全運転で。車庫入れも苦手なので、これも練習して感覚を掴んでいきます。
昨日は臨時免許教員の説明会へ
いまだダンボール箱の上で作業してます。愛着すら湧いてきました(笑)
昨日は説明会に参加しました。といっても提出書類を出して、給与とか規定の書かれた紙を受け取って終わりです。手取りで20万切る程度かな。友達はいないし(肯定的な意味で捉えています!!)、誘惑がないので、いかにお金を貯めていくか、意識していこうと思います。
ちなみに提出書類は
・採用願
・健康診断書
・最終学歴の卒業証明書(原本)
・取得している人は教育職員免許状(原本)
でした。
ちなみに健康診断では肥満と診断されたので(笑)、食生活をシンプルにして運動を積極的にやっていこうと思います。
僕の赴任先は全校児童が約50人という小規模の学校で、これからどんな子どもたちとの出会いが待っているのか、楽しみです。
どの学年にあたるのか聞かされていなく、各教科の勉強が全く追いついていないのが現状です。しかし、学習指導要領を見たり、ネットで調べたりする中で、各教科がどのような資質・能力を育みたいのか、抜本的に見直しているところです。
3月中は各教科の概要をしっかりと抑えていけたらと思います。
田舎生活5日目。人の温かさ。
ニトリの新生活応援フェアで生活用品をまとめ買いしまして、届くのが2週間後という・・・。計画性のなさは一生の課題です。今はダンボール箱を机にして、作業しています(笑)
田舎に越してから、人の優しさに触れてばかりです。"人の情"というものを都会にいる時よりダイレクトに感じます。人と人との距離が近い。都会にいる人を薄情と言いたいわけではなく、田舎の小さなコミュニティだと自然にそうなっていくのかもしれません。そしてこの田舎を循環しているものはお金ではなく、人間らしい営みだと思いました。お金や損得で取捨選択できる関係性ではなく、横で繋がり、共存するコミュニティ。助け合って生きていく世界。
知り合いがいない状況だと、自分から直接周りに働きかけなければ孤立してしまいます。コミュニティを一から作る上で、自分が何者なのかを名乗る必要があり、自己紹介って当たり前だけど大切なことだと思いました。そう考えたら、生まれてから今まで僕と関わってきた人たちは元々「初めまして」から始まって、長い時間をかけて信頼関係を結んできています。ありのままの自分を受け入れてくれる存在がいつしか当たり前のように感じていたけれど、本当はなんて有難いことなのだろうと感じました。
これから学校で出会う子どもたち一人ひとりを受け入れて、愛情を持って接していこうと思います。
電気・ガスなし生活で気付いたこと
電気やガスの有り難みを知った1日目。
電気は1日目の夜、WiFiは2日目、ガスは3日目に開通しました。
そこで気付いたことを羅列していきます。
【電気がなければ・・・】
スマホやPCの充電ができないってことを普通に忘れていました。しかも回線が合わなく電波もなく、WiFiすらない状況でした。情報を得る手段を断たれました。
エジソンってすごいなあって思いました(笑)
【ガスがなければ】
お風呂に入れない。水風呂はごめんだと思い、近くに温泉がないか、道行くおばちゃんに尋ねたら親切に教えてくれました。そこで二駅の隣の温泉に行き、露天風呂から満天の星空を仰いでいたら疲れも吹っ飛びました。
文科省の掲げる「未知の状況にも対応できる思考力・表現力・判断力」って、結局、「未知の状況を楽しむ力」なのかなーなんて考えたりしていました。
色々と"ゼロ"からのスタート
「ほんとにゼロからのスタートだなあ」
って思うので、何がゼロなのかまとめてみました。
(一昨日から隣町のホテルに宿泊していまして、今日これから入居する予定です!)
・知り合いがいない
・訪れたことのない県
・教育業界がそもそも初めまして(これまでは別業種)
・WiFiがない(今は隣町のホテルでこれ書いてます)
・食材がない
・仕送りがない(当たり前)
・電気が通っていない(3日の辛抱)
・ガスが通っていない(3日の辛抱)
○知り合いがいないということに関しては、昔から新しい環境に飛び込むのが好きだったのでなんとかなるでしょう。同じ日本人で日本語が通じるわけだし。
●WiFi、電気、ガスがないのはだいぶ痛いです。けど部屋はある。数日間の野宿の経験があるのでへっちゃらです。住むところがあるってだけで幸せなことです。
場所、人脈、そして自分の人生も開拓し始めたばかりですが、"ゼロ"からだと能動的に頭を使っていて楽しいです!
そもそも帰る場所があるというのもありがたいことで、実家や地元、友達の存在が大きいです。温かい気持ちになれる、この感情ってなんだろう・・・
「Homeとは何か」というのも時間があったら考えていこうとおもいます。